koiwaslie

音楽とか小説とか映画とかアニメとか。好きなものを好きなまま書きます。

次の富士山もよろしく

 

f:id:koiwaslie:20170302212138j:plain

これは街と人と景色の共存する世界のお話。 

沼津・内浦地区に来訪する際、私はいつも予定を立てずに行動をしている。
それは、目的を持たずになんとなく訪れても、沼津という街は十分におもしろく心地よい場所だという確信があるからだ。見知った光景でも、季節、時間や天気が違うとがらりと表情が変わるということをこの街は教えてくれた。予定のない旅というのは、その日その瞬間ベストコンディションの場所に心置きなく向かうことができるので、その恩恵に強くあずかっているのかもしれない。
しかし、予定のない旅には欠点もある。それは同行者を募りにくいということだ。

聖地巡礼とはやはり、聖地たる特定のスポットに赴くことが第一の目的となるため、散策という行為とはまだ仲が悪い。特にラブライブサンシャインは毎月のように、アニメ放送中に至っては毎週新たな聖地が誕生してしまうので、それらを廻るだけで手一杯となってしまうのは必然だろう。

という理由もあり、私というストレンジャーが沼津を訪れる際はたいていひとり、多くともふたりの、聖地巡礼とはとても呼べない気ままな街歩きに落ち着くことが多い。

そんな旅ばかりしていると、ふとあることに気づいた。
歩いていると妙に地元の方に声をかけられるのだ。
その理由はなんとなくわかる。あまり観光客のいない場所を、視線をうろうろさせながら歩いている見知らぬ人間いたら、そりゃ誰だって怪しがって声をかけるに違いない。そんなネガティブな理由は差し置いておくにしても、複数人で既に会話を楽しみながら歩いている観光客に比べて、ひとりで歩いている人間にはやはり声をかけやすいのだろう。
見知らぬ人とすれ違いざまに挨拶を交わして、立ち止まって、気づけば立ち話が小一時間。そんな経験をしたのはこの街が初めてだ。

地元の方々と話していると開口一番必ずかけられる言葉がある。
ラブライブの人かい?」
そう呼ばれると、こちらとしてはなんとも言えない気恥ずかしさがあるが、その通りなのだから仕方ない。
「ええ、まぁそんなところです」
そんな風にぼんやりとした言葉と申し訳ないような笑みで返すと、決まって地元の方は純粋な満面の笑みで答えてくれる。

そういえば、少し話は逸れるが、先日、ツイッターでこんなツイートを見かけた。
「沼津に行くと特にアピールもしてないのにラブライバーだとバレてしまう。やっぱりオタクって一目見たらすぐにわかるんだな」
この発言には正しい部分もあるが、一方で少し間違っている部分もあると私は考える。
そもそも西伊豆の海岸地区という観光地は夏が最盛期であり、空~冬にかけてはオフシーズンになりがちなのだ。加えて、もともとの観光客はダイバーもしくはバスツアーが中心であり、それ以外の姿というのは比較的少なかった。
そんな場所に突然降って湧いてきたのが“ラブライブ!サンシャイン!!”という観光資源である。結果、これまで観光客の立ち寄らなかったような場所に次々と人が押し掛けるようになった。
つまり、長年その街を見続けてきた人間にとっては「見慣れないタイプの観光客がいる=その人はラブライバー」ということは容易に想定できるのだ。考えている以上に、田舎街というのは異質な存在に敏感だ。

閑話休題
さて、そんな地元との偶然の交流も毎回楽しみにしている旅の要素なのだが、先日ある印象的な会話に遭遇した。
日付は2017年2月26日、ちょうどAqours1stライブ2日目が開催されていた、いつもよりラブライバーの少ない内浦でのことだ。
その日もまた聖地でもなんでもない海を眺めていたところ、背後から「こんにちは」と声をかけられた。振り向いてみると老年の女性がにこにこと笑みを見せていた。恰好から察するに日課の散歩の途中といったところだろうか。
ラブライバーの人たちかい?」
「まぁ、そんなところです」
とてもじゃないが現代のアニメに関わりの一切なさそうな老女の口から、ラブライバーという言葉が飛び出してきたことは、まずひとつ驚きだった。お決まりの問いかけに、お決まりのふわふわとした笑みで返す。すると彼女は私の隣に並び、海を見やって話し始めた。
「あらー、今日は富士山が見えなくて残念だねぇ」
言葉につられて彼女の視線を追う。たしかに大きな雲に隠れて富士山はすっかり隠れてしまっていた。
「あー、さっきまでは頭だけ見えてたんですけれど、隠れちゃいましたね」
「天気のいい日はここから綺麗に富士山が見えるんだよ。ちょうどこの前なんかはね……」
そう言うと、老女はポケットに手を伸ばし、携帯を取り出した。慣れない手つきでスマートフォンの写真フォルダをスクロールさせる。流れるのは家族の写真とこの街の真っ青な風景の写真ばかりだ
「そうそう、これこれ」
老女がスマホを差し出す。画面には真っ青な海の上に雄大にそびえる富士山の姿が切りきられていた。
「この日はすごく綺麗だったんだよ」
顔のしわを深くして彼女は話す。まるで息子の自慢話をしているような、そんな調子だった。
「けれど本当に残念だね。あったかくなってくると霞んできて、今みたいに綺麗には見えなくなるからねぇ」
どこか申し訳なさそうな彼女に、私は何気なく答える。
「大丈夫ですよ。どうせ来年の冬も来ることになると思いますし、春も夏もいっつも来てますからね。多分、最近来てる人たちはみんなそうですよ」
すると、その言葉に彼女の顔はパッと明るくなった。
「そうかい。じゃあ、次に来たときの楽しみにしておいてちょうだい!」

どうして老女がそんなにも再訪の約束を喜んだのか。
観光シーズンの夏は富士山が見えづらい。オフシーズンの冬の富士山は人が来ないのでなかなか目にしてもらえない。ラブライブ!サンシャイン!!で街が湧き立っている今は、彼女にとって家族同然の富士山を披露する千載一遇の機会なのだ。
そういう意味で、このプロジェクトは人と街に希望をくれた。
自分たちの当たり前を自慢することは何より楽しく、そして生きがいに違いない。

別れ際、老女はこんな言葉を送ってくれた。
「次の富士山もよろしくね」

その街では確かに、人と景色が共に生活を送っていた。

想いよひとつになれ 1日目

2017年2月25・26日に開催されたAqoursの最初の一歩となるライブ。
ラブライブ!サンシャイン!! Aqours First LoveLive! ~Step! ZERO to ONE~』
本記事はライブビューイングで参加した筆者の瞳に、ライブを通じて視えた光景を共有したくて記したものです。ライブレポートとはとても呼べない、もはや薄れかけている記憶を頼りにした、現実と虚構の入り混じった文章ですが、どうかお付き合いください。


今回は、ライブ1日目に披露された『想いよひとつになれ』のお話。


未熟Dreamer』の興奮冷めやらないままに暗転した会場。
照明が息を吹き返しライトアップされたのは、壇上に用意されたグランドピアノ。光沢のあるその姿が光を反射したとき、ドクンと心臓が鳴った。見守っていた誰もがその意味を理解したのだろう。響いていた歓声はざわめきへと塗りつぶされていき、私もその中に飲みこまれた。


最初は冗談だろうと思った。梨香子をダンスステージからはけさせるための装置なんだろうと。いいわゆる弾き真似をするだけの演出にすぎないのだろうと。
その考えは、憶測というより希望だったのかもしれない。もしそれが実現してしまったら、ラブライブという作品において私が引いていた一本の境界線が弾けて消えてしまうような、そんな予感がしたのだ。


ピアノの次に目に入ったもの。
ひとりメンバーから離れて険しい表情を見せる梨香子の姿。
瞬間、彼女は本気なんだと、そう感じることしかできなくなった。
今からこのステージの上では、アニメというフィクションを現実にする禁忌が実行されるのだと。ある一種の恐怖に震えが止まらなくなった。


梨香子がダンスステージの方を見やる。本来演者がフロアに背中を見せるのはタブーだというのに、杏樹と朱夏は真っ直ぐに梨香子のいる壇上を見上げていた。わずかに映る横顔から、ふたりの顔が笑顔だということはわかった。カメラに切り取られた光景は、大きく映る杏樹と朱夏、ふたりの背中と、それとは対照的に遠く小さい梨香子の強張った表情だった。
曲が始まるまでの時間がひどく長く感じたのは覚えている。鍵盤を映すために用意されたカメラには終始、固く結ばれた口元と震える指先が捉えられていた。その姿はまさに悲痛と呼ぶに違いないものに見えた。


そして、ステージが始まる。
想いよひとつになれ
その曲の始まりは驚くほどにシンプルだ。杏樹の透き通るような歌声。それに少し遅れて、導かれるようにして鳴り響く、ピアノの伴奏。少しの揺らぎをも簡単に露呈してしまう、余計なものが一切省かれたフレーズだ。
音からは彼女の緊張がまざまざと伝わってきた。固すぎるくらいに丁寧な演奏は、一歩たりとも五線譜の道を踏み外さないようにという決意の表れだったのかもしれない。


杏樹が歌っている間、梨香子は間違えずに弾ききった。
そして、導いていた歌声が止むと、彼女のピアノはひとりで歩きださないといけなくなる。ピアノの音がひとつひとつ紡がれると、辿るように他のメンバーのダンスが始まる。鍵盤を叩く振りつけはまるで、ひとりで壇上に登った梨香子の指をみんながなぞり、背中を押しているようだった。


ソロの最後。押さえつけられた鍵盤の余韻だけが残る。誰もが息を飲む緊張。
瞬間、彼女の披露した力強グリッサンドは、解放感に満ち溢れた最高の音色だった。
それを合図に8人のメンバー、静かに見守っていた会場全体が一斉に生き生きと腕を振り上げた。誰もがみんな、湧きあがる達成感に衝動が抑えられなくなったに違いない。
そして、それはピアノに向き合い続けていた梨香子も同じだったのだろう。演奏中、彼女は終始緊張した表情のままだったが、奏でる音色は確かにステージの上で9人として躍っていた。


私は曲の終盤に見た光景が忘れられない。
バックスクリーンに映る8人の姿が梨香子の演奏するピアノの天板に反射していた光景が。
それはまさに、想いがひとつになり、ひとつのステージを作り上げた瞬間だった。


想いよひとつになれ。このときを待っていた
ただのひとりの観客に過ぎない私でも、彼女たちにそんな喝采を送りたくなってしまった。

 

逢崎らい / @aisakiLie

9人のいない街

f:id:koiwaslie:20170228214547j:plain

 

2017年2月25・26日、Aqours1stライブ当日。

私、koiwaslieの逢崎らい。そして、さざなみ写眞館のキタモリテツヒト氏は、沼津の街中を離れて、内浦方面へと出かけた。 

どうしてこの日に内浦へと出かけたのか。

理由は『Aqoursという9人の女の子のいない街を視たかった』から。

ラブライブサンシャインのキャラクターである9人はもちろん現実に存在しない。

キャストである9人もこの街には住んでいない。しかし、私たちの意識の中では確実に、9人は沼津・内浦という土地に住んでいる存在と化している。

その、ある一種の呪縛から解き放たれることができるのが、まさにこの日だった。

つまり、現実のAqours9人は横浜アリーナという舞台に立っている。そして、キャラクターとしてのAqours9人も今日だけはこの街を離れて、大きな舞台にいる。

あの子たちがいなくなると、この街はどうなるのだろう?

沼津の中心街のざわめきに比べて、内浦地区は圧倒的に静かでした。出逢うのは地元の方、もしくはラブライブなんて存在を全く知らないような、普通の観光客ばかり。

これが本来のこの場所の姿なのかもしれない。

ラブライブサンシャインなんていうものがなければ、この街は過去から現在に至るまでずっとこの風景のままだったのかもしれない。

静かに、穏やかに、終わらない春の陽気が漂っていたのかもしれない。

私たちはある一種、昔からずっと続いていた、ありのままの街の風景を壊してしまったのだと思う。

9人のいない街。それは「過去のこの街の姿」だった。

けれど、一方で全く違う風景も視えた。

確かに絶対数は普段に比べて格段に少なくても、歩いているラブライブファンはポツポツと見つかるのだ。

不思議なことに、彼らの姿はその街の景色に溶けこんでいた。まるでずっと以前からそこを歩き、廻り、楽しんでいるような、そんな空気を彼らは纏っていた。ときには立ち止まり写真を撮り、ときには何かを見つけて同行している友人と話し込み、ときには住民を混ぜて談笑したり。

過去の街にとって明らかに異質だったはずの彼らの存在は、ひどく自然な風景の一部へと変化していた。

その様子を見たとき、感じのたはこの街の未来の姿だった。

当然のことながら、流行りというものはいつか廃れる。今こんなにも駆けつけている人たちも、数年後、十数年後には足を運ばなくなる。けれど、それが事実だとしても、一部ずっとこの街に通い続ける人は存在しているはずだ。それこそ、Aqoursが最初の一歩を踏み出すという大切な日にわざわざ内浦地区まで来るような酔狂者たちは、何年経とうが思い立ったときに訪れるのだと思う。

何年経っても多分、この街に溶けこんだストレンジャーの姿は変わらない。

私たちは壊すと同時に、その街の当たり前の景色を新しく作りあげたのだ。

9人のいない街。それは「未来のこの街の姿」だった。

……さて、少し時間は経過して、ライブ2日目が終わった夜のこと。

沼津の映画館のライブビューイングで楽しんだ私たちは、打ち上げがてら、とあるBARへと立ち寄った。

そこのマスターはとても気さくな方で、他にお客がほとんどいなかったということもあり、私たちに熱心に話しかけてきた。

「今日は何してきたの?」

「最近この辺で話題のラブライブのライブを映画館で見てきました」

「あー、あの昨日今日やってたやつね!」

驚いたことに、マスターはラブライブサンシャインのことをとても詳しく知っていた、それこそ劇中のキャラの心境を想像したり、自分がどのキャラが好きかということについて語れるくらいに、だ。

そんな会話のなか、ぽろっと彼がこぼした。

「実は今日、僕もそのライブビューイングってやつに行こうか悩んでたんだけどね、他のお客さんのイベントと被っちゃって行けなくなったんだ。そんなに楽しいんなら行けばよかったな。だって、どんなことやってるのか、この街の人間なら知っておきたいし」

その言葉はある一種の衝撃だった。私は二日間の自らの考えを反省する。

彼の、街の言葉をもって初めて気づかされたのだ。

たとえ9人がこの街からいなくなったとしても、あの子たちは確かに、この街の9人になっているのだということに。

私たちは、9人のいない街に、9人の鼓動を確かに感じ続ける。

 

逢崎らい / @aisakiLie

一歩目のお話

 

f:id:koiwaslie:20170227224931j:plain

2015年2月26日に『ラブライブ!サンシャイン!!』というプロジェクトの第一報が発表された。

 

どこかの海岸に立つ名前もわからないひとりの女の子、

そして「助けて、ラブライブ!」のキャッチフレーズ。

新たな物語が始まる予感に不安や希望、

それぞれの受取手がいろんな感情を抱いたのだと思う。

 

現在に至るまで、サンシャインというプロジェクトは私たちの全く予想しない展開を次々に繰り出してきた。

沼津という街そのものとのコラボ、アニメの内容、キャストのパフォーマンスのレベル、情報発信の量。

立ち止まることさえもままらならないままにずっと彼女たちは進み続けてきた。

 

そして来たる2017年2月25・26日

ラブライブ!サンシャイン!! Aqours First LoveLive! ~Step! ZERO to ONE~ 

として彼女たちは0から1への第一歩、そして、

Aqours Next Step! Project

として1からさらに先への一歩を踏み出す発表を行った。

 短いようで長い、いろんなことがあった2015年からの道のりでさえ、彼女たちにとっては「最初の一歩」に過ぎなかったのだ。

 

次の一歩を踏み出すに当たって、

私個人が感じたのは「これまでの一歩を忘れないでいたい」という気持ちだった。

曲りなりにも文字や言葉を使って何かを表現しようとしている身として、

彼女たちが見せてくれた、そしてこれから見せてくれる景色を、

自分の視点を通した文字として記憶しておきたくなった。

 

このブログは、ラブライブ!サンシャイン!!というプロジェクト、Aqoursというアイドル、そして沼津という街に対して抱いた感情を記録しておく場所です。

 

私の瞳に”視えた”景色をどうか共有させてください。