koiwaslie

音楽とか小説とか映画とかアニメとか。好きなものを好きなまま書きます。

次の富士山もよろしく

 

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これは街と人と景色の共存する世界のお話。 

沼津・内浦地区に来訪する際、私はいつも予定を立てずに行動をしている。
それは、目的を持たずになんとなく訪れても、沼津という街は十分におもしろく心地よい場所だという確信があるからだ。見知った光景でも、季節、時間や天気が違うとがらりと表情が変わるということをこの街は教えてくれた。予定のない旅というのは、その日その瞬間ベストコンディションの場所に心置きなく向かうことができるので、その恩恵に強くあずかっているのかもしれない。
しかし、予定のない旅には欠点もある。それは同行者を募りにくいということだ。

聖地巡礼とはやはり、聖地たる特定のスポットに赴くことが第一の目的となるため、散策という行為とはまだ仲が悪い。特にラブライブサンシャインは毎月のように、アニメ放送中に至っては毎週新たな聖地が誕生してしまうので、それらを廻るだけで手一杯となってしまうのは必然だろう。

という理由もあり、私というストレンジャーが沼津を訪れる際はたいていひとり、多くともふたりの、聖地巡礼とはとても呼べない気ままな街歩きに落ち着くことが多い。

そんな旅ばかりしていると、ふとあることに気づいた。
歩いていると妙に地元の方に声をかけられるのだ。
その理由はなんとなくわかる。あまり観光客のいない場所を、視線をうろうろさせながら歩いている見知らぬ人間いたら、そりゃ誰だって怪しがって声をかけるに違いない。そんなネガティブな理由は差し置いておくにしても、複数人で既に会話を楽しみながら歩いている観光客に比べて、ひとりで歩いている人間にはやはり声をかけやすいのだろう。
見知らぬ人とすれ違いざまに挨拶を交わして、立ち止まって、気づけば立ち話が小一時間。そんな経験をしたのはこの街が初めてだ。

地元の方々と話していると開口一番必ずかけられる言葉がある。
ラブライブの人かい?」
そう呼ばれると、こちらとしてはなんとも言えない気恥ずかしさがあるが、その通りなのだから仕方ない。
「ええ、まぁそんなところです」
そんな風にぼんやりとした言葉と申し訳ないような笑みで返すと、決まって地元の方は純粋な満面の笑みで答えてくれる。

そういえば、少し話は逸れるが、先日、ツイッターでこんなツイートを見かけた。
「沼津に行くと特にアピールもしてないのにラブライバーだとバレてしまう。やっぱりオタクって一目見たらすぐにわかるんだな」
この発言には正しい部分もあるが、一方で少し間違っている部分もあると私は考える。
そもそも西伊豆の海岸地区という観光地は夏が最盛期であり、空~冬にかけてはオフシーズンになりがちなのだ。加えて、もともとの観光客はダイバーもしくはバスツアーが中心であり、それ以外の姿というのは比較的少なかった。
そんな場所に突然降って湧いてきたのが“ラブライブ!サンシャイン!!”という観光資源である。結果、これまで観光客の立ち寄らなかったような場所に次々と人が押し掛けるようになった。
つまり、長年その街を見続けてきた人間にとっては「見慣れないタイプの観光客がいる=その人はラブライバー」ということは容易に想定できるのだ。考えている以上に、田舎街というのは異質な存在に敏感だ。

閑話休題
さて、そんな地元との偶然の交流も毎回楽しみにしている旅の要素なのだが、先日ある印象的な会話に遭遇した。
日付は2017年2月26日、ちょうどAqours1stライブ2日目が開催されていた、いつもよりラブライバーの少ない内浦でのことだ。
その日もまた聖地でもなんでもない海を眺めていたところ、背後から「こんにちは」と声をかけられた。振り向いてみると老年の女性がにこにこと笑みを見せていた。恰好から察するに日課の散歩の途中といったところだろうか。
ラブライバーの人たちかい?」
「まぁ、そんなところです」
とてもじゃないが現代のアニメに関わりの一切なさそうな老女の口から、ラブライバーという言葉が飛び出してきたことは、まずひとつ驚きだった。お決まりの問いかけに、お決まりのふわふわとした笑みで返す。すると彼女は私の隣に並び、海を見やって話し始めた。
「あらー、今日は富士山が見えなくて残念だねぇ」
言葉につられて彼女の視線を追う。たしかに大きな雲に隠れて富士山はすっかり隠れてしまっていた。
「あー、さっきまでは頭だけ見えてたんですけれど、隠れちゃいましたね」
「天気のいい日はここから綺麗に富士山が見えるんだよ。ちょうどこの前なんかはね……」
そう言うと、老女はポケットに手を伸ばし、携帯を取り出した。慣れない手つきでスマートフォンの写真フォルダをスクロールさせる。流れるのは家族の写真とこの街の真っ青な風景の写真ばかりだ
「そうそう、これこれ」
老女がスマホを差し出す。画面には真っ青な海の上に雄大にそびえる富士山の姿が切りきられていた。
「この日はすごく綺麗だったんだよ」
顔のしわを深くして彼女は話す。まるで息子の自慢話をしているような、そんな調子だった。
「けれど本当に残念だね。あったかくなってくると霞んできて、今みたいに綺麗には見えなくなるからねぇ」
どこか申し訳なさそうな彼女に、私は何気なく答える。
「大丈夫ですよ。どうせ来年の冬も来ることになると思いますし、春も夏もいっつも来てますからね。多分、最近来てる人たちはみんなそうですよ」
すると、その言葉に彼女の顔はパッと明るくなった。
「そうかい。じゃあ、次に来たときの楽しみにしておいてちょうだい!」

どうして老女がそんなにも再訪の約束を喜んだのか。
観光シーズンの夏は富士山が見えづらい。オフシーズンの冬の富士山は人が来ないのでなかなか目にしてもらえない。ラブライブ!サンシャイン!!で街が湧き立っている今は、彼女にとって家族同然の富士山を披露する千載一遇の機会なのだ。
そういう意味で、このプロジェクトは人と街に希望をくれた。
自分たちの当たり前を自慢することは何より楽しく、そして生きがいに違いない。

別れ際、老女はこんな言葉を送ってくれた。
「次の富士山もよろしくね」

その街では確かに、人と景色が共に生活を送っていた。