こいわずらい

現実と空想の狭間に視える景色

僕らにとっての”未来”と”今”

この記事は現在2017年10月07日22時21分、つまりアニメ2期放送直前に執筆している。
公開は第1話放送後を予定しているので、もし的外れなことをこの記事中で語っていたら、どうか笑い飛ばしてほしい。

では本題へ。

本日2017年10月07日より、ラブライブ!サンシャイン!!のアニメ2期が放送開始となる。

放送に先立ち、先日アニメ2期のOPおよびEDのタイトルが公開された。
OPタイトル「未来の僕らは知ってるよ」
このタイトルを見たとき、私にはある疑問が浮かんだ。
果たして、彼女たちにとっての“未来”とは一体何なのか?

そもそも、彼女たちにとっての“今”とはどこに存在しているのか?

未来。学校の統廃合の阻止、ラブライブでの優勝、スクールアイドルとして名を馳せること、沼津の輝きをとり戻すこと。考えられる候補は多数あり、現時点においてその正体を掴むことは難しい。
そこで彼女たちにとっての“未来”と“今”について、これまでAqoursの軌跡をもとにその正体を探っていきたいと思う。

なお、記事の性質上、一部μ’sAqoursの比較を行いながら推論を行う部分がある。
2つのスクールアイドルの比較を好まない読者にはどうかご容赦いただいきたい。

●アニメ1期時点での未来

最初に、Aqoursがこれまで描いてきた未来の姿について考えたい。
アニメ1期、及びその以前において、彼女たちにとっての未来とは「漠然とした希望」という言葉に尽きると私は考える。
千歌がスクールアイドルを始めた理由は「自分もスクールアイドルになれば輝けるはず」という曖昧なものであり、その目的が廃校阻止になったのは後付でしかない。12話で語った「自由に走ることが輝きに繋がる」という言葉も、裏を返してみれば、その先にある未来の正体がまだ掴めていないことを示している。
彼女たちの楽曲において、この特徴はさらに如実に表現されている。始まりの曲である『君のこころは輝いてるかい?』の«ちっぽけな自分がどこに飛び出せるかな わからない»や『決めたよHand in Hand』での«なにを探してる?まだわからないけど入り口はここかも»という歌詞はまさに、未来は今より輝いたものだけど、その正体は不明だという、漠然とした希望を語るのみなのだ。

さらに、未来そのものを歌っているはずの『MITAI TICKET』においても、«ミライへ旅立とう 青い空笑ってる(何がしたい?)»という歌詞はやはり、未来を歌うには力不足を感じえない。あくまでこの曲は現時点での未来へ向けた旅立ちを歌うものであり、未来そのものや目的を歌ったものではないと解するべきなのだろう。

つまりAqoursにとって、たしかに存在しているのは“今”のみであり、“未来”はイコール“知らない・わからない”の象徴であると考えられる。

ここで注目したいのは、彼女たちはそのわからない未来を希望、つまり夢であると確信している点だ。

なぜ彼女たちはそのわからない未来に希望を抱くことができるのだろう?

●「今が最高」の“今”とはなんだったのか?

ここで話をμ’sに移す。μ’sブームの代名詞といえばやはり、『僕たちはひとつの光』で何度も繰り返される«今が最高»という言葉だ。
また廃校阻止以降の2期『KiRa-KiRa Sansation!』においても«奇跡それは今さここなんだ»という言葉で、今を賞賛し続けている。
しかし一方で、デビューシングル『僕らのLIVE君とのLIFE』では«たしかな今よりも 新しい夢つかまえたい»と歌い、自らの“今”を卑下している。

これらの曲の間で起こった出来事で一番転換期と考えられるのは、アニメ1期で描かれた廃校阻止の達成だ。
「今=廃校、未来=廃校阻止」だったのが「今=廃校阻止」となり、「過去=廃校、未来=今」の構図ができあがった。
«時を巻き戻してみるかい?No no no»と歌うのは、彼女たちが過去を振り返る必要はなくなったということだ。
思えば、μ’sの未来は「廃校阻止」や「ラブライブ優勝」という確固たる目標として描かれていた。そしてアニメ1期2期でそれぞれ、それは実現された。

そこで以降の考察の材料として「μ’sにとっての今は未来によって定義される」という仮説を設定しよう。

Aqoursの“今”を定義するのは?

では話をAqoursに戻そう。

μ'sと違いAqoursはアニメ1期で廃校を阻止できなかったので、当然彼女たちが「今が最高」と歌う資格はない。また先述した通り、彼女たちの未来は不明瞭である。廃校阻止は確固たる目標であったとしても、それを実現させる手段は曖昧なままなのだ。
Aqoursの“今”や“未来”を語るのにはあまりに材料が少なすぎる。

そこでAqoursの“過去”に着目してみようと思う。

思えば、サンシャインのアニメは無印に比べて過去への言及が非常に多かった。梨子はピアノとの過去に向き合い自分の道を見つけ、善子は過去の自分との決別を図り、しかしその過去の自分を受け入れることでアイドルとして歩む道を見つけた。三年生はまさに過去のしがらみの象徴であり、彼女たちの活動によってAqoursが誕生したことも言うまでもない。
加えて、特に注目したいのはアニメ第6話だ。輝きを探す彼女たちが見つけたその正体は、自らを育てた街の景色だった。«消えないのは今まで自分を育てた景色»という歌詞はまさに、この回を一言にまとめるのにふさわしい言葉だろう。
“景色”という概念は言わずもがな、その空間が有する“過去”によって形成された“今”のことである。
助けてと叫んでいた自分を否定し、輝きはずっと自分の見る景色にあった、自分が一員として存在している景色のなかにあったと、千歌は物語の最後で語っている。

“輝き”がイコール“未来”を象徴する言葉であることは言うまでもない。では景色にある輝き、つまり過去の輝きは何に繋がるのかといえば、当然“過去”から観測した未来、つまり“今”が導きだされる。

前項に倣い仮説を呈するとこうだ。
Aqoursにとっての今は過去によって定義される」

●過去があるから今がある

この仮説をキャスト自身である現実世界のAqoursにまで適応させると、おもしろい知見が得られる。
例えば、斎藤朱夏氏や小林愛香氏はAqours結成以前からダンスを得意としていて、現在その実力は目を見張るものがある。伊波杏樹氏や鈴木愛奈氏はμ’s時代のラブライブファンとしての視点から、Aqoursラブライブ!サンシャイン!!の存在を観測している姿が散見される。
そもそも、ラブライブというコンテンツ自体、過去のμ’sがいたからこそ今のAqoursという新たなスクールアイドルが生まれたのだ。

●今があるから未来がある
以上を踏まえて『未来の僕らは知ってるよ』というタイトルについて考えよう。
未来が知っているのはもちろん、未来時点での過去、つまり現時点での今だ。
そして、未来の僕らが知ってる、知ることができたのは、今の僕らの努力があったからだ。
今のAqoursたちは一生懸命に未来の自分自身を作り上げている。
2期という未来が今を賞賛する言葉がまさに「未来の僕らが知ってるよ」に違いない。

●終わりに

現在進行系でAqoursの活動は拡大し続けている。
彼女たちがライブで歌う曲に、これからの彼女たちの未来を探るヒントがある。

«夢を捕まえにいくよ どんなことがおこるのか わからないのも楽しみさ»

«そうだ僕たちは まだ夢に気づいたばかり»

楽曲というのは当然、リリースした時点での心境、過去を歌ったものだ。
しかし同時に、ライブで歌われる現在、今においての心境も同時に歌っていると私は考える。
ラブライブ!サンシャイン!!の始まりの曲『君のこころは輝いてるかい?
そして第二の出発点アニメのOP『青空jumping heart
この二つはおそらく、これから先の未来でも変わらず歌い続けられるだろう。

僕らの夢=未来は、ライブ=今によって、常に更新され続ける。

«見たことない夢の軌道 追いかけて»
2期、3rdライブ、ファンミ、さらにその先。
Aqoursの見る夢を追いかけることのできる今と未来が楽しみでたまらない。

 

(2期1話視聴後追記)

未来の僕らは知ってるよ。今の僕らの努力が無駄じゃないことを。