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こいわずらい

現実と空想の狭間に視える景色

9人のいない街

沼津

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2017年2月25・26日、Aqours1stライブ当日。

私、koiwaslieの逢崎らい。そして、さざなみ写眞館のキタモリテツヒト氏は、沼津の街中を離れて、内浦方面へと出かけた。 

どうしてこの日に内浦へと出かけたのか。

理由は『Aqoursという9人の女の子のいない街を視たかった』から。

ラブライブサンシャインのキャラクターである9人はもちろん現実に存在しない。

キャストである9人もこの街には住んでいない。しかし、私たちの意識の中では確実に、9人は沼津・内浦という土地に住んでいる存在と化している。

その、ある一種の呪縛から解き放たれることができるのが、まさにこの日だった。

つまり、現実のAqours9人は横浜アリーナという舞台に立っている。そして、キャラクターとしてのAqours9人も今日だけはこの街を離れて、大きな舞台にいる。

あの子たちがいなくなると、この街はどうなるのだろう?

沼津の中心街のざわめきに比べて、内浦地区は圧倒的に静かでした。出逢うのは地元の方、もしくはラブライブなんて存在を全く知らないような、普通の観光客ばかり。

これが本来のこの場所の姿なのかもしれない。

ラブライブサンシャインなんていうものがなければ、この街は過去から現在に至るまでずっとこの風景のままだったのかもしれない。

静かに、穏やかに、終わらない春の陽気が漂っていたのかもしれない。

私たちはある一種、昔からずっと続いていた、ありのままの街の風景を壊してしまったのだと思う。

9人のいない街。それは「過去のこの街の姿」だった。

けれど、一方で全く違う風景も視えた。

確かに絶対数は普段に比べて格段に少なくても、歩いているラブライブファンはポツポツと見つかるのだ。

不思議なことに、彼らの姿はその街の景色に溶けこんでいた。まるでずっと以前からそこを歩き、廻り、楽しんでいるような、そんな空気を彼らは纏っていた。ときには立ち止まり写真を撮り、ときには何かを見つけて同行している友人と話し込み、ときには住民を混ぜて談笑したり。

過去の街にとって明らかに異質だったはずの彼らの存在は、ひどく自然な風景の一部へと変化していた。

その様子を見たとき、感じのたはこの街の未来の姿だった。

当然のことながら、流行りというものはいつか廃れる。今こんなにも駆けつけている人たちも、数年後、十数年後には足を運ばなくなる。けれど、それが事実だとしても、一部ずっとこの街に通い続ける人は存在しているはずだ。それこそ、Aqoursが最初の一歩を踏み出すという大切な日にわざわざ内浦地区まで来るような酔狂者たちは、何年経とうが思い立ったときに訪れるのだと思う。

何年経っても多分、この街に溶けこんだストレンジャーの姿は変わらない。

私たちは壊すと同時に、その街の当たり前の景色を新しく作りあげたのだ。

9人のいない街。それは「未来のこの街の姿」だった。

……さて、少し時間は経過して、ライブ2日目が終わった夜のこと。

沼津の映画館のライブビューイングで楽しんだ私たちは、打ち上げがてら、とあるBARへと立ち寄った。

そこのマスターはとても気さくな方で、他にお客がほとんどいなかったということもあり、私たちに熱心に話しかけてきた。

「今日は何してきたの?」

「最近この辺で話題のラブライブのライブを映画館で見てきました」

「あー、あの昨日今日やってたやつね!」

驚いたことに、マスターはラブライブサンシャインのことをとても詳しく知っていた、それこそ劇中のキャラの心境を想像したり、自分がどのキャラが好きかということについて語れるくらいに、だ。

そんな会話のなか、ぽろっと彼がこぼした。

「実は今日、僕もそのライブビューイングってやつに行こうか悩んでたんだけどね、他のお客さんのイベントと被っちゃって行けなくなったんだ。そんなに楽しいんなら行けばよかったな。だって、どんなことやってるのか、この街の人間なら知っておきたいし」

その言葉はある一種の衝撃だった。私は二日間の自らの考えを反省する。

彼の、街の言葉をもって初めて気づかされたのだ。

たとえ9人がこの街からいなくなったとしても、あの子たちは確かに、この街の9人になっているのだということに。

私たちは、9人のいない街に、9人の鼓動を確かに感じ続ける。

 

逢崎らい / @aisakiLie